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千葉地方裁判所 昭和63年(ワ)719号 判決

原告

甲野裕

右法定代理人親権者父兼原告

甲野英夫

右同母兼原告

甲野妙子

右原告ら訴訟代理人弁護士

茆原洋子

右同

大口昭彦

被告

千葉県

右代表者千葉県知事

沼田武

被告千葉県指定代理人

村上啓二

外五名

被告

野口照義

伊東範行

金子章子

右被告ら四名訴訟代理人弁護士

中村光彦

主文

一  被告千葉県は原告甲野裕に対し金四二一〇万七六二九円、原告甲野英夫に対し金一三〇万円、原告甲野妙子に対し金一三〇万円及びこれらに対する昭和六三年七月一四日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告千葉県に対するその余の請求及びその余の被告らに対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告千葉県の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  本判決は第一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告千葉県が原告甲野裕について金二三〇〇万円、原告甲野英夫について金六五万円、原告甲野妙子について金六五万円の担保を供したときは右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一原告らの請求

被告らは各自、原告甲野裕に対し金八〇三三万五〇二二円、原告甲野英夫に対し金一一五〇万円、原告甲野妙子に対し金一一五〇万円及びこれらに対する昭和六三年七月一四日(訴状送達日の翌日)から各支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は点滴を受けながら高圧酸素治療を受けていた患者が呼吸・循環不全を起こし、記憶力の低下等の障害を負った医療事故(以下「本件事故」という。)について、患者及びその両親が、千葉県の公務員である担当の医師、看護婦、病院の長に対し不法行為に基づく損害賠償請求を、千葉県に対し、国家賠償法一条一項に基づく損害賠償を請求した事案である。

一(争いのない事実及び証拠上比較的容易に認定できる事実)

1  当事者

原告甲野裕(以下「原告裕」という。)は昭和四九年一一月一日に出生し、原告甲野英夫(以下「原告英夫」という。)はその父、原告甲野妙子(以下「原告妙子」という。)はその母である。

千葉県救急医療センター(以下「センター」という。)は、被告千葉県(以下「被告県」という。)が設置しており、被告野口照義(以下「被告野口」という。)はセンター長、被告伊東範行(以下「被告伊東」という。)は、センターの診療部長で高圧酸素治療室を含む集中治療科の責任者たる医師であり、被告金子章子(旧姓小林。以下「被告金子」という。)は昭和五五年四月から同六三年三月の間はセンターに勤務する看護婦であり、いずれも、右三名は、昭和六〇年一〇月一一日当時被告県の公務員であった(〈証拠略〉)。

2  本件事故

(一) 原告裕は、昭和六〇年八月二三日、右下腿骨開放性骨折、左大腿部骨折等の治療のためセンターに入院し、センターと原告裕は、同日、原告裕の診療につき診療契約を締結した。同年一〇月一日ころから原告裕の右下肢第二、第三趾基節骨骨折部の偏位の増加が見られ、右患部について、同年一〇月九日、観血的整復術キルシュナー鋼線による固定術を施行されたが手術部位に循環障害が生じたので、更に皮膚壊死防止の目的で高圧酸素治療を受けることになった。

(二) 原告裕は、昭和六〇年一〇月一一日、午後一時四一分から三時一一分にかけて、第二回目の高圧酸素治療を受けた。その内容は、高圧酸素治療室に患者が入り、患者は酸素ボンベから酸素を吸入し、その間午後一時四一分から約二〇分間徐々に加圧し、室内の気圧を一気圧加圧して二気圧にしてこれを約五〇分間維持(これを「保圧」という。)し、午後二時五一分ころから約二〇分間減圧して一気圧に戻すという方法で行われた。

(三) 被告金子が、原告裕を含む患者五名と高圧酸素治療室に入り、患者の看護にあたった。高圧酸素治療室は主室と副室に別れており、被告金子、原告裕、火傷を負い気管切開を受けていた患者岩渕某(状態は原告裕より重度であった。)外一名の患者と主室に入り、他の外来患者二名が副室に入った。高圧酸素治療に入る約二〇時間前から、原告裕は五〇〇ミリリットルの輸液瓶(瓶自体の容量は約七〇〇ミリリットルである。)から、流量毎時二〇ミリリットルのソリタT3の点滴を受けており、治療開始時の右輸液瓶の残量は約一〇〇ミリリットルであった。当日の装置の操作は北澤幸夫技師(以下「北澤技師」という。)が行った(〈証拠略〉)。

(四) 同日午後三時八分、原告裕は上半身をのけ反らせ、被告金子が名を呼ぶと「うーん」と言って傾眠状態となり、更に「胸が痛い。」と言って意識を消失した。被告金子は、原告裕の左大腿動脈で脈が取れずかつ瞳孔が左右とも5.0ミリと拡大していたので、循環不全と判断し、原告裕に対し心臓マッサージを行いかつ北澤技師に原告裕の異常を連絡し、北澤技師は医師にこれを伝えた。午後三時一一分、高圧酸素治療が終了し、原告裕は集中治療室に収容され心臓マッサージ、人工呼吸、中心静脈カテーテル挿入及びこれを経由した投薬、動脈血ガス分析(酸素分圧が556.4mmhgと平常値より高くかつ二酸化炭素分圧が七二八mmhgと高いことが確認されている)等を施され(中心静脈カテーテルを挿入している途中、被告伊東は集中治療室に到着し、原告裕から取り外されていた輸液瓶が空であることに気付き、水中にこれを入れクレンメを開いたところ、あぶくが出た。輸液回路はこの後廃棄された。)、心臓マッサージを受けながらであるが午後三時一五分ころ脈拍が認められた。被告伊東をはじめとする医師らは、原告裕の異常は空気塞栓によるものと判断し、心機能を高めるためカテコールアミン等の薬剤投与のほか、午後四時〇一分から午後六時〇一分の間再び高圧酸素治療を行った(〈証拠略〉)。

(五) 原告裕は同月一一日午後三時四〇分自発呼吸、対光反射が認められるようになり、午後九時ころ自発開眼があり、痛み部位に手を寄せ払いのけるという反応が見られ、同月一二日午後三時手を握る反応があり、開眼するもうつろで追視せず、同月一三日午前二時ころ命令に応じて運動をし、うなずく等を行うようになった(〈証拠略〉)。同月一四日ないし同三〇日にかけては、失認(視覚物体失認(自分の手指を「食べてはいけない」と確認する必要がある、帽子と髪の毛との勘違い等)、相貌失認(家族、担任教諭等の確認ができない等)、左右失認、手指失認(呼称が言えない、指示された指を動かすことができない等。))、失行(眼鏡をかけられない、排尿・排便が自分で行えない、果物の皮がうまくむけない、本が一頁ずつめくれない、図形の模写が出来ない、無意味な動作を繰り返す等。)、失算(計算が全くできない、ただし、右期間中に加減算がややできるようになる。)、失読(同じところを繰り返し又は飛び飛びに読む、漢字が読めない、本を逆様に持っていても気付かず直せない等。)、失書(当初全く自発書字不能であったが右期間中仮名文字の想起は可能となる等。)、失語(思うことが言えない(換語困難)、単語のブツ切りの表現、てにをはの勘違い(失文法)、おうむ返し(保続))、記憶の記銘力・保持力低下、集中力の低下、両上肢運動麻痺、集中力の低下等の症状が認められた(〈証拠略〉)。原告裕は昭和六〇年一二月五日センターを退院したが、その後もリハビリテーションを受けていた。リハビリテーションの結果、阿部知子医師が最終的に診断した昭和六二年一一月一二日当時において、失認、失行及び運動麻痺については回復したものの、集中力、構成能力、記銘力の低下が残った(〈証拠略〉)。

3  高圧酸素治療について

高圧酸素治療(O・H・P)とは、溶媒に溶解する気体の量はその気体の分圧に比例するという物理的効果及び酸素の薬理学的効果を組み合わせた治療法である。高圧酸素治療は、高圧酸素治療室内において、患者に大気圧より高い気圧の中で高濃度の酸素を吸入させることで行われる。治療の適応疾患には、高圧下における血中溶解酸素の増加による低酸素状態の改善又は体内の気体の圧縮という物理的効果、酸素の毒性の利用等を目的とするものであり、救急的適応がある疾患としては、急性一酸化炭素中毒その他のガス中毒、空気塞栓症、減圧症、急性末梢血管障害、重症の低酸素性脳機能障害、ショック、意識障害及び脳浮腫(脳塞栓、頭部外傷及び開頭術などによる。)等がある。高圧酸素治療には、高圧に耐える高圧酸素治療室が必要であり、それには、患者一名を収容できる第一種装置と複数の患者あるいは医療職員を収容できる第二種装置がある。センターでは集中治療科の下で第二種装置を用いた高圧酸素治療が行われていた。昭和六〇年一〇月一一日当時の高圧酸素治療室の管理医(なお、日本高気圧環境医学会は高圧酸素治療の認定管理医制度を定めているが、現実に認定制度は発足しておらず、本件における管理医とは、右の意味の認定管理医ではなく、センターの高圧酸素治療を統括する地位にいたものを指す。)は被告伊東及び青柳光生医師(以下「青柳医師」という。)であり、装置の操作には、高圧酸素治療技師である勝本淑寛主任技師(以下「勝本技師」という。)及び北澤技師があたっていた。なお、センター長である被告野口は、日本高気圧環境医学会理事長を務めている(〈証拠略〉)。

4  安全基準について

日本高気圧環境医学会は「高気圧酸素治療の安全基準」を定めているところ、その第七四条は「一 装置内で使用される機械及び器具は、高気圧下のために必要とせられる規格に適合しもしくは安全装置を具備しなければ、設置し又は使用されてはならない。二前項の規定にしたがって使用される機械及び器具は、管理医の行う性能試験に合格したものでなければならない。」と規定している(〈証拠略〉)。

5  輸液装置について

本件事故当時、原告裕は静脈路の確保のため、右前腕の静脈に静脈留置カテーテル(留置針)を挿入され、ソリタT3という輸液の点滴を受けていた。

輸液回路は輸液瓶(点滴瓶)、点滴筒(輸液の滴下速度を観察するための装置)、チューブ、クレンメ(ローラーでチューブを圧し潰すことで点滴速度を調節する装置)、チューブ、三方活栓(栓の開閉により点滴を開始又は停止させ、又は、他の回路に接続するための装置)、チューブ、静脈留置カテーテルの順に接続されていた。

輸液瓶にはガラス製(通気管のあるものとないものがある。)、プラスチック製(プラボトル)及び柔らかいビニール製(ソフトバック)がある。点滴中の瓶内外の気圧差を解消するため、ガラス製、プラスチック製の輸液瓶には通気針(空気針、エア針とも呼称される。約三センチ位のもの)を刺す必要がある(プラボトルは上部に、通気管のある輸液瓶は通気管内に、通気管のない輸液瓶は倒立させたときその下部に)が、ソフトバックには不要である。ソフトバックは割れない、軽い、そして通気針がふさがれ内外の気圧差が生じることがないという長所があるが、反面長期間の保存に不適であり、また、瓶内の液の残量の確認が難しいという欠点がある。本件で用いられた清水製薬製ソリタT3は、抗生物質・末梢血管拡張剤等の薬剤投与のための静脈路を確保するための維持輸液であり、同種のものは他社でも発売されているが、ソリタT3のソフトバックは当時はなかった(〈証拠略〉)。

6  空気塞栓症

空気塞栓症とは、空気が静脈から吸収され、重要な血行を阻害し循環障害を起こすことである。原因としては、血中溶解している窒素が減圧によって気泡化したり(潜水症等)、誤注射等で空気が静脈内に注入されること等がある。気泡は、右心房及び右心室を経て肺胞の換気を阻害(肺塞栓症)することが多く、まれに、肺を通過して左心系を経て全身に回り気泡が組織の血行障害を引き起こすこともありうる(〈証拠略〉)。

二(主たる争点)

1  被告野口、同伊東及び同金子に対する請求について

被告野口、同伊東及び同金子は、本件事故により民法七〇九条に基づく損害賠償責任を負うか。

2  被告県の責任について

(一) 本件事故の原因

本件事故は、高圧酸素治療室における高圧酸素治療中、輸液瓶の通気針が詰まったため、輸液がなくなった後輸液瓶中の空気が原告裕の静脈内に流入して、空気塞栓症を起こし、結果的に心停止あるいは心機能の低下をもたらし、更に低酸素性脳症を起こしたことが原因であるか。

(二) 過失

(1) 高圧酸素治療において通気管のある輸液瓶を用いて点滴を行う場合、通気針が何らかの理由で閉塞し、患者の体内に空気が注入されることを、センター長である被告野口、集中治療室の責任者である被告伊東及び看護婦である被告金子は予見しえたか。

(2) 右予見可能性が肯定される場合

① 被告金子は、輸液の残量及び流量を確認点検し、輸液がなくなる前に原告裕の右前腕部の留置針を抜くべきであったのに、これを行わなかった過失があるか。また、被告伊東は、右の残量及び流量の点検並びに輸液がなくなる前に輸液瓶の交換を行うよう被告金子(または高圧酸素治療に従事する看護婦)に対し指示をすべきであったか。

② 被告伊東は、空気注入の危険がないソフトバックを使用させるべきであり、これを怠った過失があるか。

③ 被告伊東は、装置内で用いる輸液回路について、輸液内外の気圧調整がどの程度可能であるのか、通気針が詰まる危険性がどの程度であるのか、通気針を刺す深さにより右危険性は変わりうるのか、通気管及び通気針からの輸液の流出の有無程度、輸液の流出があるときこれに伴うフィルターの濡れと通気障害の有無等について性能試験を行い、または、行わせるべきであり、これを怠った過失があるか。

④ 被告野口は、センター長として高圧酸素治療中に点滴を行う際はソフトバックを使用するよう周知徹底を図るべき義務、高圧酸素治療を担当する医師及び看護婦に対し、高圧酸素治療における気圧変化に伴う事故防止に関する基礎的指導をなすべき義務及び事故防止のため十分な注意のできる人員を配置すべき義務があり、これを怠った過失があるか。

3  後遺症

本件事故により、原告裕の受けた後遺症の程度

4  損害額

第三争点に対する判断

一被告野口、同伊東及び同小林に対する請求について

右被告三名は千葉県の公務員であり、右三名に対する原告らの請求は、右被告らの公務員としての職務行為の違法による損害の賠償を求めるものであるところ、公権力の行使にあたる地方公共団体の公務員がその職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、当該地方公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解すべきである(最判昭和五三年一〇月二〇日民集三二巻七号一三六七頁、同五二年一〇月二五日裁判集民事一二二号八七頁、同四七年三月二一日裁判集一〇五号三〇九頁等参照。)から、原告らの右被告三名に対する請求は理由がないと言うべきである。

二被告県の責任について

1  本件事故の原因

(一) 証拠(〈略〉)によれば、本件で用いられた輸液回路は、事故後廃棄されているが、輸液瓶がガラス製で通気管のあるもので、瓶針、チューブ及び通気針が輸液回路に付属しているテルフュージョン小児用輸液セットというものであり、通気針には疎水性(水を弾くもの)のフィルターがついていたことが認められる。

静脈の血流は、末梢から中枢(上・下静脈)を経て右心系に向かっているが、末梢の静脈に留置針を入れて点滴を行う場合、生体の静脈圧は中枢から末梢に行くほど静脈圧が高くかつ静脈圧は大気圧に比して陽圧であるので、輸液瓶が空になっても静脈圧が陽圧のため静脈まで空気は進入することはないが、輸液瓶内を含む輸液回路内圧が静脈圧より高い場合は空気が静脈に流入し、空気塞栓症が生じ得ること、高圧酸素治療中に点滴を行う場合、通気針が正常に機能せず、輸液瓶内外の空気の流通が行われなくなると、瓶内に加圧時の圧(本件の場合は二気圧)が残り、静脈圧より輸液回路内圧が高くなる可能性があること、原告裕が高圧酸素治療室内で意識喪失したとき、輸液瓶が空であったこと、被告伊東が輸液瓶を水中に入れクレンメを開くと泡が出たので、同被告は輸液瓶内の圧が減圧されずに残っており、前記のような通気針の閉塞が生じ、輸液瓶から空気が原告裕の体内に注入され空気塞栓を起こしたものと考え、これに基づき高圧酸素治療等の空気塞栓症及びそれによる低酸素状態の解消を目的とした一連の治療を行ったこと、右治療が功を奏して原告裕は意識を回復するに至ったこと、本件当時原告裕の体内に至る経路として確保されていたのは前記輸液回路しかなかったこと、原告裕の異常は、右事情及びその後の後遺症からして、何らかの原因により急性の呼吸・循環障害を起こし、二次的に中枢神経障害を起こしたものであることが認められる(前記第二認定の事実、〈証拠略〉)。

(二) ところで、原告裕の異常について被告伊東ら医師が当初想定した空気塞栓症であると断定しえない根拠として、榊原鑑定書は、第一に空気塞栓症であればのけぞるという後弓反張様の症状以前に意識障害が現れなければならないのにそれが認められないこと及び第二に空気塞栓症とは別の原因によって類似の症状を呈する急性呼吸・循環障害、中枢障害等の高圧酸素治療の適応がある疾患があるので高圧酸素治療による改善のみでは空気塞栓症と断定する根拠としては薄弱であることを挙げる。しかしながら、第一点については、榊原鑑定書自体からは意識障害と認められる、どのような症状がどの時点で認められるべきか明らかではないが、原告裕は後弓反張様の症状を示した直後に意識を喪失していること及び後記(第二点についての判示)からして意識障害の発生の時期のみで直ちに空気塞栓を否定する根拠とはなりえないものと考えられる。また、第二点としては、原告裕の異常が突然であったことからして、高圧酸素治療の救急的適応がある疾患としては中枢神経系の酸素中毒並びに脳出血、脳血栓などの急性中枢神経系障害が考えられるが、榊原鑑定書自体が、前者(酸素中毒)は原告裕の症状の推移・発症時期からして、後者(急性中枢神経系障害)は原告裕の症状の経過及び経過中の各種の検査結果からいって考えられないものとしている(なお右鑑定書は、静脈圧が輸液回路内圧に比してより陰圧になった場合も空の輸液瓶から静脈に空気が流入しうると指摘している。)。

(三)  以上認定の事実及び証拠を総合すれば、原告裕の異常の原因は、通気針が機能せず、そのため加圧された輸液回路の内圧が、減圧時に下がらずに静脈圧に比較して高い圧力を保ち続けたため、輸液の流量が多くなり、更に、輸液瓶の輸液がなくなったのち、瓶内の空気が原告裕の静脈に流入されたため、原告裕は空気塞栓症を発症し、呼吸循環障害を、二次的に中枢神経障害を起こしたものと推認せざるをえない。

これに対し、被告は空気塞栓症を発症した原因が不明であるから本件事故原因が不明である旨主張し、榊原鑑定書も同旨の結論を採るが、訴訟上の因果関係の立証は一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、これで足りるものである(最判昭和五〇年一〇月二四日民集二九巻九号一四一七頁)から、前記の発生機序が高度の蓋然性をもって推認できる以上、原因が不明であるというには、前記の発生機序即ち通気針の機能不全及びこれによる空気注入がありえないことが証明されることが必要と解されるので、この点について検討する。

まず、榊原鑑定書は、通気針の閉塞時を事故当日午後三時七、八分とし、そうすると空気の注入量が少ないとしているが、右の三時八分は前記のとおり原告裕が後弓反張様の症状を示した時刻であり、通気針の閉塞時を右時刻と特定する根拠が示されていないから、右結論を採ることはできない。

事故後勝本技師及び北澤技師により行われた実験の報告書(〈書証番号略〉)によれば、注射針で人為的に通気管内に水を注入して、加圧開始時の残量一三〇ミリリットル、加圧開始時の流量毎時二〇ミリリットル、加圧時間二〇分、保圧時間ゼロ又は二〇分、減圧時間二〇分で高圧酸素治療室内で点滴を行った場合、減圧時に通気針が閉塞し、輸液の流量が多くなるが、輸液は流出しきらないこと(実験1、2、9。ただし実験1では減圧時流出量は一〇〇ミリリットル、同2では八二ミリリットルであった。同9では通気針のフィルターが破け流出量が測定できなかった。)、加圧開始時の残量一一〇ミリリットル、加圧二二分二〇秒、保圧時間一七分四〇秒、減圧時間二〇分(その他の条件は同じ。)であれば、輸液は流出し更に空気が流入すること(減圧時に空気針が閉塞したことは実験1、2、9と同じ。実験11。)が認められるので、本件事故における条件(治療開始時の残量一〇〇ミリリットル、流量毎時二〇ミリリットル、加圧時間二〇分、保圧時間五〇分、減圧時間二〇分)では、通気針が閉塞した場合、輸液は減圧中に流入し終わり、空気が流入しうることが右実験の結果によって認められることになる。

そして、通気針の閉塞の可能性については、第一に前掲乙四の実験のように、輸液が通気管に溜まる場合、減圧時に通気管内の輸液が通気針を逆流し又はフィルターを濡らすため(なお吸水性のフィルターであればこれが濡れた場合フィルターから輸液が滴下する液漏れという現象を起こすが、疎水性フィルターであれば液漏れは起こらない(〈証拠略〉)が、それは疎水性という性質によるものであり、疎水性フィルター上に輸液が溜まった場合フィルターの通気性が保たれないこともあり得る。)閉塞しうるところ、被告らは、前掲実験は人為的に注射針で輸液を注入した場合であり通常の場合は起こり得ないものであることを主張する。これについて検討するに、通気針を刺す前のソリタT3の輸液瓶は陰圧(平均七五五mmhg)であること(〈証拠略〉)、点滴装置をセットする際、瓶を正立させた状態で瓶針を刺してから、瓶を倒立させるため、通気管内に輸液が入ることが通常であること、その状態で輸液瓶に通気針を刺すと瓶内が陰圧のため、通気管内の輸液は通気管外に飛び散るが少量は通気管内上部に留まること、こうして残留した輸液は時間を経ても蒸発せず、減圧時に残留している輸液が通気管下部に下がってくることが認められる(〈証拠略〉)。そして、前記乙四の実験では、通気管に作為的に液を入れなかった場合には輸液瓶に通気針を刺しても通気管内の通気針先端を超える液は入らなかったことが認められるが、右実験は被告らの指示により行ったものであること、本件事故原因を究明するためになされた実験であるのに本件事故と条件を同じにしないなど実験方法の選択に問題がないわけではないこと、更に、輸液瓶を倒立した場合通気管内に残留する液量はその上部数センチに及ぶことがあり、通気針を刺し込んだ際、管内の液が飛び散っても管内に残る液が下部に溜まり、通気針の刺し込み具合では溜まった液が通気針の先端を超える場合があること及び正常に機能していた通気針でも何らかの理由で点滴途中から機能しなくなることがあり、それは残留した輸液による閉塞か又は通気針自体の機能に本来問題があると考えられること(〈証拠略〉)からして、前記実験結果により、通気管に残留した輸液により通気針が閉塞する可能性がないとまでは言い切れないと考えられる。証拠(〈略〉)によれば、通気管の上部に輸液が残った場合、管内に落ちた輸液は疎水性でない親水性フィルター付の通気針であれば、通気針から液漏れを起こすこと、通気針がつまって点滴が落ちなくなることがあるが、その原因は通気針をゴム栓に刺し込むとき、ゴム片が通気針の穴をふさぐためであることが認められる。しかし、本件は、疎水性フィルター付の通気針を使用した事例であること、通気針が輸液の影響によりつまることがあるかの事例であることから言って、前記証拠は何ら反証になりえないと考える。以上の事実及び証拠を総合すると、本件事故が通気針の閉塞によって生じた可能性は、かかる事故が本件前後見られない(〈証拠略〉)とは言え、否定しきれるものではなく、結局前記被告らの主張は採用できない。

したがって、本件事故は前記の機序により生じたものと認める。

2  過失

(一) 予見可能性について

被告金子は、センター開設当初に一度、高圧酸素治療について管理医である被告伊東又は青柳医師から講義を、技師らから指導を受けており、ICU(集中治療システム)に勤務交替になってから、先輩の看護婦と一、二度高圧酸素治療室に入り、細かい注意を受けたこと、高圧酸素治療において点滴中輸液瓶を空にしてはいけない、空になる前に取り替えなければならないと被告金子は他の看護婦と話し合ったことがあること(〈証拠略〉)、この講義中には高圧酸素治療中に点滴を行う際の加圧・減圧に伴う気体の物理的変化(加圧時に気体は圧縮され、減圧時には膨張する。)や点滴流量の変化(加圧時には輸液瓶内の空気が圧縮されるため、液面が上昇し、点滴筒において滴下量が見にくくなり、また、留置針の抵抗より通気針の抵抗が大きいため、流量が減少すること、また、減圧時には逆に輸液瓶内の空気が膨張し、液面が低下し、流量が増加すること等)も含んでいたこと(〈証拠略〉)、通気管のないガラス製輸液瓶は、通気針が輸液に直接触れるため、減圧時に輸液による通気針の閉塞が起こりやすいとして、被告野口及び同伊東は、本件以前から、高圧酸素治療中かかる輸液瓶を用いて点滴を行う場合には特に誂えた長大な通気針を用いるようにしていたこと、北澤技師は異常を告げられた際、すぐ被告金子に対し輸液瓶を確認することを指示するよう指示したこと(〈証拠略〉)が認められ、また、前記認定のとおり通気針が通常の場合でも機能しないことがありうること及び被告伊東を初めとする医師らは原告裕の異常を事故後間もなく空気塞栓症と推定したことを考えあわせれば、被告伊東及び同金子は、通気管のある輸液瓶を用いた場合においても、通気針の機能不全により、静脈への空気流入という事態を十分予見しえたものと認められる。

なお、被告金子は、「午後三時前後、原告裕の輸液瓶を確認したところ、残量は六〇ccないし七〇cc入っていた。そのとき流量は確認していない。原告裕がのけぞったとき、私は原告裕に背を向ける形で岩渕の看護をしていた。」と供述し、証人北澤幸夫は「減圧開始前後一分、五分、一〇分のとき残量を見ている。治療として十分間に合う量であると思った。」旨証言している。しかし、技師の役割は本来装置の操作であり、かつ、高圧酸素治療室の窓は小さいから、どの程度正確に残量を確認できるか心もとなく、証人北澤幸夫の右証言をもって十分な残量があったとみることはできず、また、被告金子の供述については、同室していたより重症の他の患者に注意がそれていた可能性があること、そのときの残量についてカルテ等他に補強すべき証拠が認められないこと、原告裕の異常が発生したのは午後三時八分ころであるところから、午後三時ころの残量が六〇ないし七〇ccであったとすれば、約八分以内の間で右の残量がなくなってしまったことになり、その間に通気針の塞栓が生じ輸液瓶内の空気の膨張による輸液の流量が加速したとしても、約二五倍ないし三〇倍の加速にならないと右の残量はなくならない計算になるので、そのようなことは一気圧に近い減圧では殆ど考え難いことからして、被告金子の右供述を信用することはできず、したがって、被告金子が、本件において治療終了時まで残量が十分であると考える具体的状況があったとは認めることはできない。

(二) 注意義務違反

(1) 残量流量の確認・点検義務違反

被告金子は、前記のとおり、通気針の閉塞による空気塞栓症の発症について予見可能性があり、したがって、特に減圧時において、残量及び流量の確認をし、かつ、点検を行い、残量が不足である場合は輸液瓶を交換し、クレンメを閉じあるいは留置針を抜く等の措置を採るべき義務が認められるところ、原告裕の異常の発生時が午後三時八分ころという減圧終了直前であったことからして、減圧時において右義務を怠ったものと認められ、頻回にわたり確認をしたという被告金子の供述は採用しない。次に伊東について検討するに、被告伊東は前掲の供述のとおり、年一度の講義及び指導(これは主として新人の看護婦を対象に行われ、それ以外の看護婦の参加は任意のものと認められる(〈証拠略〉))を行うほか、担当の技師をして高圧酸素治療室に入室する際、点滴の残量のチェックを行うよう指導していたことが認められる(〈証拠略〉)が、被告金子は講義をセンター開設の際の一回しか受けておらず、かつその講義においては、加圧すると瓶内の気圧が高くなり、そのまま減圧すると瓶内の空気が押し出される可能性について聞いた覚えはなく、輸液瓶は早めに替えるようにという指導は先輩の看護婦から受けたのみである旨の供述をしており、また、被告伊東自身、被告金子は全くの新人として集中治療室の担当となったものではないため、指導漏れがあったかもしれない旨の供述をしていること等を総合すれば、被告伊東は管理医として前記のとおりの指導を行っていたが、特に何故輸液残量の確認をすべきなのかについて被告金子の認識の甘さに照らし、被告伊東の指示は十分であったとは言いがたく、したがって、被告伊東は被告金子が前記義務を励行するよう指示する義務を怠ったものと認められる。なお、本件事故の反省から被告伊東は、高圧酸素治療室内での輸液の取扱い方を項目別に点検する書式を作り、入室時の輸液残量、点滴速度、加圧終了時と減圧開始時と減圧中間時と減圧終了時の各残量をそれぞれ点検して記入させ、通気針は従前のものの使用を止め、長大針のものに取り替えて使用させるように指導していること(〈証拠略〉)が認められる。

(2) ソフトバックの使用について

原告らは、被告伊東には高圧酸素治療中の点滴においてソフトバックを使用させる義務がある旨主張するところ、患者の病態に照らし、いかなる治療法を採りそれについていかなる器具を使用するかは、通常の医師として明白な選択の誤りがない限りおよそ医師の裁量に属する事項と言うべきであるところ、前記第二の一5記載のとおりのソフトバックの欠点、当時ソリタT3のソフトバックがなかったこと、後記のとおり通気管のある輸液瓶であってもそれ自体が高圧酸素治療に用いるのに適さないとは言えないことからして、被告伊東には、高圧酸素治療中の点滴においてソフトバックを使用させるべき義務はないと言うべきで、この点に関する原告らの主張は採用しない。

(3) 性能試験について

原告らは、日本高気圧環境医学会の規定する高気圧酸素治療の安全基準七四条二項及び三項により、輸液回路について事前にその性能を検査する義務が被告伊東にあった旨主張するところ、右基準はあくまで高圧酸素治療に従事する者に対する準則であって、それ自体具体的な注意義務の内容となるものではないと解すべきであり、また、管理医としては、高圧酸素治療が高気圧かつ高濃度の酸素の使用という特異な環境下における治療方法であるため右の環境下に耐えられない器具は使用しない義務があるというべきではあるが、通気管のある輸液瓶であっても前記の義務を尽くす限り、これ自体高圧酸素治療に用いるに適さない器具であるとは言えないことは、センターにおいて本件前後を通じ頻繁に点滴が行われているに拘らず、本件のような事故はなく、また、高気圧環境医学会においても報告例がないという事実(〈証拠略〉)からも明らかといえるから、輸液回路について性能実験を行わなかったことは、本件とは何らの因果関係はないと解するのが相当であり、よって、原告らの主張は採用しない。

(4) 被告野口の注意義務違反について

被告野口はセンター長として、高圧酸素治療中のソフトバック使用を周知徹底し、かつ、高圧酸素治療時における事故防止について基礎的指導をする義務がある旨原告らは主張するところ、ソフトバックを使用させる義務がないことは前記のとおりであり、また、センター長はセンターを統括する地位にあるとは言え、高圧酸素治療は診療部長である被告伊東が管理医として担当していたものであり、高圧酸素治療における事故防止のための技師・看護婦らへの指導も被告伊東の責務というべきであり、直接センター長が行うべき義務はないと言うべきであるから、原告らの右主張は採用できない。

3 以上の認定により、被告はその公務員である被告金子及び同伊東の前記過失により原告らが受けた後記の損害について、国家賠償法一条一項に基づき賠償義務があることになる。

三後遺症について

前記のとおり昭和六〇年一〇月一一日午後三時一〇分、原告裕の心拍は停止し、心臓マッサージを受けながらではあるが、午後三時一五分ころ自発呼吸が見られたこと、脳は三分三〇秒の血流停止で不可逆変化を起こし、脳に酸素がいかない時間が三分であれば七五パーセントが回復、四分であれば五〇パーセントが回復といわれていること(〈証拠略〉)、本件後、被告伊東は心停止時間二〇分として退院時サマリーに記載していること(〈証拠略〉)、本件事故後、軽度ではあるが脳萎縮(〈証拠略〉)が認められ、また、脳波不正常(〈証拠略〉)や視床付近の脳血流低下(〈証拠略〉)があること、事故後の検査において言語性検査と動作性検査の乖離があり、これは非言語的機能(大脳劣位=右半球)に障害と認められること(〈証拠略〉)等を総合すれば、本件事故により原告裕は高次大脳機能に器質的障害を負ったものと認められる。

そして、リハビリテーションによりある程度回復を見たものの、現在(一七歳)においても、円が書けない、発語において幼児語をときどき使う、漢字が余り書けず、英語の習得は出来ない、集中力を欠く等の状態があり、本件事故前に認められた構成力、集中力、漢字書字能力、発語能力の低下が認められる(〈証拠略〉)。

四損害について

1  後遺症による逸失利益

原告裕は、本人の努力の結果によるものであり、かつ、偏差値が低いとはいえ、市立中学から私立高校入学を果たしていること(〈証拠略〉)から、経済的自立はたやすくないとはいえ、生涯にわたり労務に服しえないものではないと認められること及び前記認定の後遺障害の程度を総合すると、原告裕の労働能力喪失率は三五パーセントと解するのが相当であり、事故時(一〇歳一一月)昭和六〇年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計男子労働者平均年収四二二万八一〇〇円、右認定の労働能力喪失率及びライプニッツ係数を基礎に原告裕の逸失利益(一一歳として計算)を計算すると、金一九一〇万七六二九円(422万8100円×0.35×〔18.698−5.786〕)となる。

2  慰謝料

(一) 意識喪失による死に直面したことによる慰謝料

原告裕は、本件事故により、約六時間にわたって意識を喪失し、その間生死の間をさ迷い、その後意識を完全に回復するまでの間(約一八時間)に受けた精神的苦痛を慰謝するには少なくとも金二〇〇万円が必要である。

また、原告妙子及び原告英夫についても、本件事故により原告裕が死に直面した時間何にも代え難い精神的苦痛を受けたことは明らかであるから、これを慰謝するには少なくとも各金一〇〇万円が必要である。

(二) 後遺症慰謝料

原告裕は前記後遺症により著しくかつ回復しがたい学力の遅れを生じ、また、前記後遺症によりいじめにあい、自殺を口走ったり、中学時代には登校拒否をし、現在では自殺の虞れがある鬱病的傾向も認められなくはないこと及び前記認定の後遺障害の内容を総合すると、後遺症により原告裕が受けた精神的損害を慰謝する金額としては金一五〇〇万円を相当と認める。

原告英夫、同妙子は、原告裕の後遺症に対し両親として固有の慰謝料を請求するが、近親者固有の慰謝料が認められるためには前記(一)の場合のように被害者本人の生命が害され又は生命が害されたと同視できる場合に限られるべきであるから、原告裕の後遺症については原告英夫、同妙子固有の慰謝料を認めることはできない。

(三) 回復訓練費用

原告は、将来の回復訓練費用として原告裕が成人するまでの間、過去の約二年間の実支出毎月一万九〇〇〇円を基準にして、月金五万円が必要であり、これも本件による損害である旨主張するが、右の回復訓練費用が将来生じる可能性があると言いえても確実に生じるものであるとは言えないから、右主張は採用しない。

(四) 弁護士費用

本件事案の難易、訴訟の経過、請求額、認容額等を考え、原告らが負担する弁護士費用のうち、原告裕については、金六〇〇万円、原告妙子及び同英夫については、各金三〇万円が本件と相当因果関係にある損害と認められる。

(五) 合計額

よって、被告県が本件に関し賠償すべき損害額は、原告裕に対しては、金四二一〇万七六二九円、原告妙子及び同英夫に対して各金一三〇万円となる。

3  よって、主文のとおり判決する。

(裁判官高橋隆一 裁判長裁判官上村多平は転勤につき、裁判官副島史子は退官につき、いずれも署名押印できない。裁判官高橋隆一)

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